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  • NATSUKO MIZUGUCHI

    水口菜津子

    京都在住

    2000年 京都市立銅駝美術工芸高校 デザイン科卒業
    2006年 京都市立芸術大学 ビジュアルデザイン科卒業
    2009年 京都市立芸術大学 美術研究科 ビジュアルデザイン科修了

    幼い頃から絵、詩作、観察に興味を持つ。
    大学在学中に偶然出会ったガリ版との関わりの道のりをガリバントラベラーと名付け、多角的に現代のアートとしての可能性を探求。ジャンルを超え、多方面に広がっている。

    Artist statement

     明治時代に発明された「謄写版」は、「鉄ヤスリ」の上に置いた「ロウ原紙」に「鉄筆」にガリガリと製版し、木製の印刷器にセットしてローラーで手動で複写する簡易印刷方法であり、孔版技法でもある。

     大正時代には「ガリ版」という愛称で大衆から呼ばれるほど、人の営みの中に溶け込んでいた道具であり、戦後、日本が発展していくための情報伝達、教育など多方面に大きな役割を担っていた。しかし、時代は流れ、よりスピーディーで便利な機械が発明されていく過程でガリ版はひとつの大きな時代を築いたうえで、役割を終えたといえよう。    

     現在、多様な情報伝達のためのメディアが発展し、多くの人々は、SNSを始め、様々なツールを使って発信、コミュニケーションや人々との関係を築いている。その光景を眺めながら、謄写版も同様の役割があったことや、現在の気軽さとは、相反して、重いヤスリに鉄筆で一文字ずつ刻み、インクに汚れながら一枚ずつ刷って配布していた人々の風景を想像し、現在の景色と重ねてみると、何か、時代を超えて、また変化していく役割があるのではないだろうか、そして、そこに私自身の関われるアートの可能性の一つがあるのではなかろうかと思い始めた。    

     私は、幼い頃から自然の摂理やこの世界の仕組みを知りたいと思いがあり、観察をしたり、絵を描いたり、時には詩や文章にする過程を通じ探ると同時に、自身の内面が世界をどのように捉えているのか、それらがどう変化していくかもに観察してきたという経由があった。  

     そのうえで、2005年に名前も知らなかったガリ版を始めることとなり、その関わりを通じ、自身の内面の変化と、ガリ版独自の個性とはなんだろうと、謄写版と同時代に生きてきた人々の話や記憶、先人の残した作品、現代においてもその時代を感じられるもの通じ考察を続けてきた。
     その考察は過程であり変化するものなので、見知らぬ街を散策する旅人に喩え、「ガリバントラベラー」と活動コンセプトを決めることにした。そして、所縁の地や未知なる場所に旅にすることだけを目的としないで、今のいる地点から興味を掘り下げ、自身の謄写版のイメージと可能性を新鮮な状況に保つことに重点を置いている。
     幼い頃は画家に憧れ、その後、高校、大学でデザインを学び、その道に行くのだと思っていたにも関わらず、不思議なもので、私の意図とは裏腹に、自ずとガリ版街道なるものが、すーっと未来にのびているような人生となってしまった。謄写版に関わる人生が想定以上に自分の研究テーマとして合っていることも不可思議である。  

     しかし自己の枠や考えにとどまらず、今、同時に存在している世界の息吹とともに、自然な流れの中でインスピレーションや手を通じ表現する過程を、ガリバントラベラーの視点として捉えた記録として記憶に留め、日々楽しみたいと創作活動を続けている。(2021年6月17日)

    Galiban traveler

    「ガリバントラベラー」・・・
    名前も知らなかったガリ版との関わりは、まるで旅人が知らない街をさまよい歩く感覚と似ている。その旅は人の記憶や歴史などに誘われ、過去、現在、未来まで自在に方々へ広がりつづいていく。

    道のり/覚え書き

    1981年6月5日生まれ
    母の故郷、北アルプスの見える自然豊かな長野県北安曇郡でカッコウたちの鳴く朝に生まれ、1ヶ月後に京都に来る。 御所の西の方の町内行事や地域社会が根付く場所に両親祖父母と住む。
    5歳ごろ、店と離れた地域行事のない静かな住宅地に引っ越こす。

    保育園の先生に勧められ、5歳ごろ母に絵の教室へ連れていかれる。10歳頃、友人に誘われ、別の絵画教室へ移り、デッサンを始める。

    10歳ごろ、図書館で見た外国の作家の画集をみて、感銘を受け、絵を描く職業に憧れる。

    15歳ごろ、絵は一人で描いていきながら、新しい勉強をしたいと考え、外国のデザインに憧れていたので、デザインの方向へ進むことに決める。

    1997年、京都市立銅駝美術工芸高等学校 デザイン科入学。
    2000年、京都市立銅駝美術工芸高等学校 デザイン科卒業。
    自分にとっては、デザインは難しく、奥深く、大学でも学び続けることを決める。

    3年間長い浪人生活を送る。
    19歳のときにイタリアへ旅に行き、大きく価値観が変わる。 多様な地方都市の風景に新鮮さを感じる。外国に憧れながら、日本について知らないことに気づき、日本や自身の日常、足元にある可能性について探求したいと思う。

    2003年 京都市立芸術大学 ビジュアルデザイン科入学

    寝台列車に乗って、青森、岩手、高崎、伊香保などをめぐる一人旅にでる。様々な親切な人々との交流や、計画の少ない散策の面白さを体験する。間違って降りた岩手の村での思いがけない小旅行の際、アートプロジェクトという言葉を知る。

    2006年 大枝00展に参加する。
    そのミーティングで名前も知らなかったガリ版のことを教わり、新聞をつくりたいと探し始める。
    三社祭りの日、東京の旅で山手線散歩で迷い込んだ道で、サザエさんの台本を謄写版で制作されていた不二プリント商会さんと遭遇し、ガリ版について教わり、「サザエさん」と初めて製版し、印刷していただく。
    旅の間に、そのときは同じガリ版と気づかなかった孔版画家の本間吉郎さんの展覧会に通りかかるなど、偶然がいくつも重なりガリ版ネットワークから器材を購入できることなど情報を得る。

    大枝アートプロジェクト(OAP)に参加。
    大学付近の大枝土蔵で、時々、不定期の大枝新聞(現在、みどりの停留所新聞)を制作し始めるが上手くいかない。

    ガリ版ネットワークの志村章子さんの紹介で、東京在住の、元、堀井謄写堂の社員の北浦満治さんに教わりに行く。その後、数年間にもわたり、往復書簡で、アドバイスしていただく。

    上達がスローな中、新聞を配る過程で、様々な世代の人々からガリ版についての想い出話を聞く中で、ガリ版の不思議なコミュニケーションツールとしての可能性に気づく。

    「助田茂蔵展」ガリ版体験に参加しようと、道に迷いながら、初めてガリ版伝承館へ訪れる。

    OAPで、ガリ版ツアーガリ版合宿を企画し、ガリ版伝承館へ訪れる。

    アートプロジェクトやガリ版が縁で、様々な交流が広がる。

    学外でガリ版の新聞やプロジェクトをしながら、大学院では色をテーマにした映像、アニメーションの研究をする。

    梅染など古代の植物染めをされている山本晃さんにお話をお聞きしたり、袋帯を制作する。

    「藍×緑 はたらくものとそなわっているもののものがたり」の5分ほどのアニメーションを 修了制作とする。

    2009年 京都市立芸術大学 美術研究科 ビジュアルデザイン科修了

    2011年アートの視点から発見した風景をつなぐ新しいスタイルのガイドブックとして、「大枝・大原野 みどりの停留所をつなぐ vol.1」大枝アートプロジェクト編著(かもがわ出版)出版、1ヶ月で完売し、大枝、大原野地域での活動を自身は一区切りとなる。

    向日町の富永屋さん(ー2020年1月)のシャッター再生プロジェクトとして絵を描く。

    2012年頃 加藤第一印刷さんに活版についての見学の際、教わりながら体験することになり、 いくつかの印刷物を活版印刷でデザインしたり、一部、組版にも取り組む。
    活版の素晴らしさに魅せられ、オリジナル活版印刷便箋の販売も始める。

    2014年 ガリ版の作品で初個展を行う。(KUNST ARZT 京都・岡崎)     
    各地からの依頼で、様々な内容のガリ版のワークショップを始める。

    2016年 ガリ版刷りの本BOOK ART展山崎書店 京都・岡崎)で発表を始める。

    2018年 心身の健康や病、医療や介護システム、生き物の生命力などについて深く学び考える。

    2020年 日本茜伝承と未来展に参加する。自然の色からガリ版インクや表現の着想をする試みが始まる。ガリ版刷りオリジナル印刷物・ガリ版刷り原画のデザイン・制作などのガリ版関連の多様な依頼が増える。

    2021年 コロナ渦の続く中、新たな制作・研究を始める。